2013年11月16日土曜日

坂本竜馬誕生祭(命日)の龍馬祭

11月15日京都の霊山護国神社で、毎年開催される。
わたくしは、去年は、前田後援会の日帰りバス旅行で後援会幹部と訪問し、坂本竜馬・中岡慎太郎・下僕の藤吉の墓に、高知の地酒・純米超辛口の司牡丹(龍馬からの伝言・日本をいま一度洗濯いたし申候)をお供えし、静かに手を合わせ黙とうした。

龍馬は、28歳のとき、勝海舟の弟子となり、わずか5年で、海援隊・薩長同盟・船中八策・大政奉還などの偉業を成し遂げ、33歳の誕生日に、京都の近江屋で、陸援隊長の中岡慎太郎とともに刃に倒れた。
歴史小説の大作家・司馬遼太郎先生は、「日本の歴史で、坂本竜馬を持ったことは奇蹟である」と言っている。そして、風雲急を告げる幕末、その時代の圧搾空気が志士(人材)を呼び維新を旋回さしたと。
わたくしは、「竜馬がゆく」の最後に書かれた文章に、感銘を受けた。
「天に意思がある」としか、この若者の場合、おもえない。天は、この国の歴史の混乱を収拾するために、この若者を地上にくだし、その使命が終わったとき、惜しげもなく天に召しかえした。

司馬作品の中での竜馬評、武市半平太「たとえ悪事を働いても、それがかえって愛嬌に受けとられ、ますます人気の立つ男が、英雄というのだ。
竜馬にはそういうところがある。ああいう男と喧嘩するのは、するほうが馬鹿だし、仕損さ」といわせる。
桂小五郎にも「事を成すのは、その人間の弁舌や才智ではない。人間の魅力なのだ。」
「人どころか、山でさえ、あなたの一声で動きそうな思いがする」と評させています。

わたくしは、はじめて、ひとりで車で京に向かった。
車中で、もし、竜馬が大政奉還後も活躍していたならば、歴史はどう展開しただろう。
会津藩の戦。五稜郭の戦い。明治維新の政体。
そして、征韓論。佐賀の乱。西郷隆盛の死など、
つぎつぎと浮かぶ。
内乱を平和的に解決して、欧米列強と肩を並べるために、大きな軍艦で、海外雄飛、それも、西郷隆盛さんといっしよに、想いは果てしない。
誰か、書いていただきたいと切望する。竜馬の素志は、「生を受けて、事をなす」それが、国家の大事であつた。
霊山に、眠る竜馬・慎太郎。いま、大切なのは、彼ら、多くの志士達の素志を受け継ぐ、若者が何人いるのかが、勝負だ。これからの時代、志士たちの生きざまを時代精神し、学ぶ。ことが大切だ。

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